PIRKA SIRI ◆◆◆ |
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●6/アイヌ民族と神々 アイヌ民族と神々(カムイ)は切っても切れないものです。というのも、アイヌ民族にとって神々は人の廻りにあるものほとんど全てが神、あるいは神により何がしかの使命を与えられた「魂(あるいは精神)」のあるものだからです。 人々が生きていくなかで、関わりあうであろう物事のすべてになにか役割があってそうなるのであろう、つまり人を含めた物事すべてが生きた関わり合いをしているのだ、とアイヌは考えたようです。 どこか遠い神の国から何かの使命を帯びて、姿を変えて我々アイヌに(事象として直接・間接的に)関わりあうのだ、ということなのだそうです。 「 関わりあうであろう物事すべて」というのは、火や水、草木や山河、熊や鹿や魚など、人が生きている間に目や耳にするもの、そして触れるものすべてのことです。 ですから、人間にとって都合の悪いこともそういった事柄の一つです。地震や火事、雷などの災害、そして伝染病なども神の仕業であると考えました。 そういった意味では「アミニズム」に近いとも言えるかもしれません。 とは言うものの、人間の暮らしにほとんど関わりのないものもあります。そういったものは、神として意識することは見られないようです。 つまり、人の暮らしに関わる「依存度」の高いものほど、そして人の力ではどうしようもないものほど神(精神のあるもの)として力が強い、あるいは位が高い神、と考えられていたようです。例えば水や火は人の生活において必要不可欠なものです。ですからかなり位の高い神と言えます。そして、地震などや伝染病も人の力ではどうしようもないものですが、人の為にはならないので「ウェンカムイ=悪い神」ということになります。 では神はアイヌ(人)にとって「絶対」の存在でしょうか。 人の力ではどうしようもないけれど、良くも悪くもある、という意味では、 絶対とは言えなさそうです。別な言い方をすれば、善行も悪行もしうる、かなり「人間臭いもの」と言えそうです。 アイヌに残る昔話にも、カムイがアイヌの女性を好きになってしまったり、いたずらをしたくなったりするそうです。と言うことは、神ではあるけれども実は人と同じであるという「対等な立場」として考えられていたようです。そして、神の国(カムイモシリ)では人と同じように生活をしていながら、人の前に現れるときは使命を持った別の姿になって関わりあう、ということなのでしょう。 ●例えば・・・・ アイヌモシリ(北海道)にはヒグマが棲息しています。ヒグマが北海道の山野の王者であることは誰もが疑わないと思います。アイヌにはとうてい素手ではかなわない相手ですから、ヒグマは神(カムイ)ということになります。山の神(キムンカムイとかヌプリコロカムイなど)と呼ばれ、畏敬の対象でした。この神はカムイモシリでは人と同じ姿をしていますが、アイヌモシリでは毛皮をまとい、大きな体の姿で降りてきます。 アイヌは狩りに出かける前、火の神、家の神に狩りがうまくいくように祈り山に入ります。そして弓矢などでクマを狩るわけですが、なぜ神を狩るのでしょうか。それはクマが毛皮をまとい、肉を付けた食料として「人間の役に立つために降りてきた神」だからです。 狩りが終わりアイヌはクマに祈ります。「私の前に現れていただきありがとうございます。これからコタンに来ていただき、おもてなしさせていただきます。」そうして神であるクマをコタンに持って帰り、クマをカムイモシリへ送る儀式を行うのです。 カムイモシリへ送るのにもルールがあります。特に位の高い神に対してはより丁寧に祈りを捧げました。クマは位の高い神ですから、祈りもより丁寧でした。柳や水木で作られる、くるくるとねじれた房をもつイナウというものを用い、これに人間の言葉を神に伝える仲介してもらいながら祈ります。「このたびはようこそ我々のコタンへ来てくださいました。たくさんの贈り物と歌や踊りを捧げます。お気に召されましたら再びこのコタンへ来てくださいますようお願いします…」そうしてアイヌによる歌や踊りが披露され、たくさんの供物や酒などが供えられます。こうした贈り物はクマ神がカムイモシリへ持ち帰るころには何倍、何十倍と増えるのだそうで、クマ神はたくさんのお土産と歌や踊りの楽しい思い出で身も心も満たされてカムイモシリへ帰ることができ、仲間の神々とそれを分け合い、見てきたことを話して聞かすのだそうです。そうして神(神々)は再びお土産や歌や踊りを見たいためアイヌモシリに降り、コタンに来たがるのだ、ということなのだそうです。 上の例は有名な「イオマンテ=熊の霊送り」をかなり大雑把に記したものです。自分たちを生かしてくれている自然(ここでは特にクマ)を神として捉えている一つの形といえましょう。 また、対等な立場ゆえに神に文句を言うこともあります。例えば、山でアイヌがクマに殺されてしまった場合「皮と肉をアイヌに渡すためにアイヌモシリ来たはずなのにアイヌを殺すとはどういう了見か?このままでは他の神々からも仲間はずれにされ、やがては神として崇められなくなるだろう!」と強い調子で祈り訴えるのだそうです。 さて、ここまでは自然=神ということを記してきましたが、では衣服や皿、鍋、弓や草履などはどうでしょう。これらも人間の生活にか欠かせないものといえそうです。こういった人工的なものも神と考えられていました。 衣服や草履が破れてしまったり、皿や鍋に穴があいてしまったり、弓が折れてしまったりと、本来の役割を果たせなくなったものは、この世でのつとめが終わったことを意味し、人々は感謝の気持ちを込めながらカムイモシリへ送ってやりました。そうして送られたもの(道具?)は再び生まれ変わってそれぞれの役割をはたすのだと考えていたようです。こうした「もの」を送ることを「イワクテ」と言います。 またカムイは人々からイナウや贈り物などを受け取るわけですが、わずかな供物もカムイモシリに届くと何倍にもなると書きました。そうした贈り物を神自ら作ることができないのだそうで、一方的に受け取るだけらしいのです。そして、その贈り物がたくさんあり、また上等であればあるほど、アイヌから神としてより大事にされているということであり、また神のなかでも位をあげる基になると考えられています。逆に言えば、贈り物が粗末であればあるほど、神はひもじい思いをすると言えます。 ではカムイは何をするのかというと、アイヌが祈り願うことをしてあげなければなりません。例えば、アイヌからの贈り物がカムイモシリでたくさんになるように、カムイモシリからアイヌモシリへ降ろすときもたくさんになるので、一頭のクマが降りるときにはクマの数が増え、また川に降ろされた一匹のサケは群れとなり川を遡るというのです。 多くの食料に恵まれ、豊かで平和な生活を求めるアイヌの願いを叶えることによって、カムイはまた崇められ、おおくの贈り物を受け取ることでしょう。 本当におおまかではありますがアイヌとカムイの関係が少しはご理解いただけたかと思います。 アイヌがカムイに対しするべきことをし、カムイがアイヌに対してするべきことをする。神がアイヌの日々の生活のほとんどすべてを見守り、アイヌはそのお礼に祈りと贈り物を捧げる、こうしたいわば対の関係のなかで、アイヌは日々、神々である「自然」と向き合って生きてきたといえるのではないでしょうか。 ◆PHOTO CAPTION 上から〜 ●イナウキケ これは我が家にあるイナウキケです。上の文でもわかっていただけると思いますが、イナウの小さいものというとらえ方で良いかと思います。お守りとか魔よけのようなものでしょうか。アイヌは家の中にこのイナウキケを飾ったようです。イナウはアイヌと神との橋わたしですから、神から見守ってもらうつもりで飾ったのだと思います。ということで、私の部屋にも飾ってまります。これは名古屋の百貨店で北海道物産展が催されたときにいただいたものです。 ●ヘペレアイ 上でも書いた「イオマンテ」のときに使う矢「花矢=ヘペレアイ」です。左側の太くなっているほうが先です。イナウ状に仕立てられています。イオマンテは上記のように山から直接「来て」いただいたクマ神をお送りする場合と、冬、コタンで育てていた2、3歳の若いクマ神(飼いクマ)を送る場合とあります。飼いクマを檻から出した際、この矢でクマを射るのです。クマは当然暴れ(もちろんヒモで四方から縛られています)ますが、それを見て「クマ神が喜んでおられる」と解釈したようです。イオマンテの最後には空に向かってヘペレアイを射るのですが、それはクマ神がアイヌモシリに辿りつくための道しるべになるのだそうです。写真は二風谷のアイヌ文化博物館にて。96年10月撮影 ●ヌサ この写真のヌサは阿寒コタンにある「ヌサあるいはヌササン=祭壇」です。アイヌは折りに触れてこのヌサにお祈りをしていました。もちろん上記のイオマンテでも利用されます。ヌサは長いイナウを横に並べた祭壇で、それぞれのイナウに対して祈る神があてがわれています。また、そのイナウの数、つまり神の数や神の種類(クマ、フクロウ、キツネ…大体12種類ぐらいだそうです)も地域性があったようです。写真のヌサは沢山ありますが、儀式で祈るたびにイナウを捧げ、また、イナウが朽ちるまでそのままにしておくので、だんだんと増えていってしまったようです。96年10月撮影 ●アペソコ アイヌ語で囲炉裏のことを「アペソコ」といいます。チセの中心に切られています。火はアイヌにとって食事をして生きることを支えてくれる大事な神(=アペフチカムイ)でしたから、日々のお祈りは欠かさなかったことでしょう。またアイヌは他の神へのお願いの仲介をアペフチカムイにお願いしていたそうです。写真は硫黄山にあるチセのアペソコです。やかんが!吊り下げられています。96年10月撮影 |
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